05

形の無いマテリアル。偶然というメカニズム。

国際芸術センター青森 [マテリアルとメカニズム]展 レビュー / AC2 no.16


青森のまちなかから40分バスに乗って、ようやく国際芸術センター青森(以下、ACAC)にたどり着いた。展示棟、創作棟、宿泊棟などが、ふわふわと森の中に点在している。一見しただけでは入口も出口もわからない。大阪から飛行機とバスを乗り継いで来た私にとって、随分遠くまで来たという印象が強かった。日本以外から来て滞在しているアーティストにとってその印象はさらに強まるだろう。

ACACを訪れた理由は大きく2つあった。1つは、大阪でスタジオをシェアしている長坂有希の作品を見ること。もう一つは青森、そして人里離れたACACという場所そのものに興味があったのだ。実際訪れてみて、うまく言えないが、どこかアンリアルという印象を受けた。それはコンクリート打ち放しの力強い建物群から受ける印象とは正反対の、どこかあいまいな場の印象である。筆者は宿泊棟に4泊しながら、多様な作品とACACという場のつながりを探していた。

建築作品にとって場所は決定的である。敷地と言い換えても良いのだけれど、その言葉が持つニュアンス以上に作品に与える影響は大きい。果たしてアーティストにとってはどうなのだろう。

展覧会のタイトルは「マテリアルとメカニズム」。キュレーターによるテキストではマテリアルには素材、メカニズムには仕組みという訳が与えられている。建築家である筆者にとって素材も仕組みも耳慣れた言葉だ。素材は文字通り建築を構成する物質的な要素だし、仕組みも異なる素材が「組み合わされて」完成する建築というものにとって親和性が高い言葉だ。しかし翻って、仕組みという日本語に対してメカニズムという言葉が使われていることは筆者にとって目新しかった。システムやストラクチュアではなく、「メカニズム」。どちらかというと、メカニズムは動的で、機械的、それでいて時代を超えて物理的なニュアンスを含んでいるように思う。そのように考えるとマテリアルも筆者が普段使うような、物質そのものを示す以外の意味の広がりがあるのだろう。ぼんやりとそんなことを考えながら密度の濃い作品群と対峙した。

データを生成・編集し、あらゆるメディアにアウトプットする作品が特徴的なフェリックス・カルメンソン。ウェアラブル・テクノロジーとインターネットなどから得られた個人情報データに形を与えた≪データ・タワー≫、睡眠データや活動データを3D画像作成ソフトによって二次元に変換した≪データの世界に浸る≫などの作品群は、いずれも「情報」を素材としながら、アーティスト自らでコントロールできないアルゴリズミックな「変換」方法によって可視化するメカニズムを内包している。

ALIMOは、≪<星と犬の散歩>に基づく音楽のためのアニメーション≫を発表した。犬の散歩とフロッタージュという偶然性を孕んだ方法により得られた「図像」を素材に、それらを「アルゴリズム」を利用して音に変換する。音のアニメーションという言葉で、全く新しいアニメーションの形式を提示している。

≪海のものと山のもの≫と名付けられた、リャオ・チエカイによるフィルムインスタレーションは、青森という場所をもっとも直接的に作品化したものである。3か月間、日没時刻に採集された断片的な映像が、ひとつの映像につなぎ合わされている。「風景」を素材にしながら、撮影場所が徐々に山側へ「移動」するメカニズムをもつ美しい映像は、ギャラリーから室外の池へと投影され、外部環境によって見えたり見えなかったりする。

長坂有希の作品は、時間的、空間的な奥行きを持つ。≪01_アンガス≫は、作家の個人的な体験を語ることで、鑑賞者の頭の中に独自の物語を生み出すインスタレーションだ。また、≪00_景色≫は粘土で作られた架空の世界。縄文時代から連綿とつづく「歴史・文化」や作家自身の「経験」という素材を、「語る」という行為によって、鑑賞者それぞれの物語に変換する。

「マテリアル」や「メカニズム」はとても物質的で即物的なニュアンスを孕んだ言葉である。にもかかわらず、これらの作品で扱われたマテリアル(「情報」「図像」「風景」「経験」)やそれらを組み立てるメカニズム(「変換」「アルゴリズム」「移動」「語る」)は極めて物質から遠いように感じられた。また、もう一つ印象的だったのは、それぞれの作品のマテリアルやメカニズムに、「偶然性」が含まれていることだ。フェリックス・カルメンソンが採集した「データ」、ALIMOの「犬の散歩」「アルゴリズム」という方法、リャオ・チエカイの「外部環境」、長坂有希の「出会い」などがそうだ。

それぞれの作品に共通性があるということを述べたいのではない。むしろそれぞれの作家が既に持っている個別的なコンテクストが、ACACでの滞在を触媒にニュルニュルと細胞分裂を起こし、随分と多様な作品が出そろったという印象だ。カオティックでエフェメラル、それでいて力強い展覧会の印象と、ACACという境界が曖昧で、でもブルータルで重量感のある場の印象とが、渾然一体となって押し寄せてくる。人里離れた場でさらに深く遠くの世界に引き込まれるような、奥行きのある展覧会であったように思う。

(山口陽登)