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なるほどと思える新しさ

日本建築設計学会誌 建築設計 01 寄稿


日頃、建築設計をしながら考えていることは、「新しさに敏感でありたい」ということだ。これは決して「今まで見たこともないものをつくりたい」という意味ではない。むしろ設計している瞬間、その線の一本一本に、これまでに存在しないものが生まれてしまうという、建築設計という行為が持つ恐ろしさに、常に意識的でありたいということだ。

そもそも「新しさ」とはなんだろう。私の中では少なくとも2種類あると思っている。一つはこれまで見たことのないもの、存在しなかったものとしての新しさだ。それは、いわばカウンターとしての意味合いを持つものだ。もう一つは、古いか新しいかの新しさであり、これまであったものをアップデートするという意味合いのものだ。私はこのアップデートとしての新しさにとても興味がある。それは目に新しいユニークなものを作るのではなく、ジワジワとにじみ出るような、ささやかな新しさを目指したいということである。

建築設計の世界を見渡すと、実に多くの分野がある。住宅と言っても、郊外の戸建て住宅や都心の狭小住宅、タワーマンションやワンルームマンションなどその全てを含むし、教育施設にしても幼稚園から大学、聾学校なども含む。公共施設は言わずもがなである。これからもその種類は増え続けるだろう。そのような新しい建築設計の種類がどんどん生まれていくような状況で、建築家はどのようにふるまうべきなのだろう。新しいものが生まれては消費されていく時代に、どのように新しさに向き合うべきなのだろう。

プロトタイプ=原型という言葉がある。使い古されたこの言葉に対して、私たち若い建築家がどのように向きあうか、問われている気がしている。これまで存在している建築設計のタイプに対して、今建てる。その時に、「これまで」を自分の中にしっかりと取り込み、その上で「これから」を真っ当に提案できているか。単なるユニーク、あるいは独りよがりの美しさに陥っていないか。この視点に立つことができれば、住宅でも神社仏閣でもオフィスビルでも、学校でもホームセンターでも、その建物が生まれてからこれまでの年月が、長いか短いかに関わらず、自信をもって新しさに向き合うことができると思っている。それが建築設計を生業にして、縁があって自分にきた仕事に対して、建築家が取り得るスタンスだと思う。メディアに踊らされず、それでも新しさに敏感であるという、その狭間に身を置いた者のふるまいだと思う。クライアントの良し悪しを語り合っても仕方がないのだ。

建築が建ち現れるためのコンテクストは、敷地、地域性を超えて、時間的な深みを増していると感じている。誤解を恐れずに言うと、私は敷地のコンテクストにそう簡単に左右されない、時間に耐えてその先に自然に建ちかえるような、そんな原型を作りたい。

原型とは、言わば(仮)の状態である。そう考えると、アンビルドの計画にも取り組む道筋が見えてくる。教科書で見た、未来の都市を描くようなドローイングにリアリティを持つことができない若い世代の建築家は多いと思う。私もその一人だが、そのようなある種の高揚感を生みだすアンビルドを必要とした時代もあったのだろう。あるいはそれまでの失敗を打ち消すような、次の正解をドラマティックに提示するようなアンビルドもあり得るだろう。しかし現在は、停滞を少し前進させるようなアンビルドの計画を必要としているのではないか。煽動するのではなく、後方から全体を持ち上げるようなアンビルドの計画。それは、過去を前提としながら、現在を丁寧に読み解くことを通して、「なるほど」という言葉とともに未来に投げかけるようなものだろう。

つまるところ、設計しながら、自分で「なるほど」と思えるようなものを設計したいということだと思う。納得と新しさが同時にやってくる、空気がスンと抜けるような、何か宝物を見つけたような独特の感覚。私は実際の建築設計、アンビルドの計画を問わず、日常的にささやかなアップデートを続けたその先にある、なるほどと思えるような原型を目指して、建築設計に向き合って行きたい。

(山口陽登)